More you might like
2013/08/01 イスラエルがシリアに……?
諸君はなぜ麻雀には「筒子、索子、萬子」とあるかその理由を考えたことがあるだろうか(私はない)。
安田師は高校生のときに打牌のさなかにふとその疑念に取りつかれたのである。
西欧渡来のトランプは4種13枚で構成されている。
4×13=52
52とはすなわち1年間の週の数である。
ユダヤ・キリスト教文化圏では暦の基本単位は週である(7日に一度の聖なる安息日によって時間は分節される)。
4種は四季であるから、トランプは時の流れそのものを図像化したものと考えることができる。
麻雀はどうか。
東南西北の4種は方位をあらわす。
これはよろしいな。
では、白發中は。
これはよくよく見ると「黒がない」ということに気づくはずである。
ご存知のとおり、古代中国において宇宙は四神すなわち青龍、朱雀、白虎、玄武によって分節される。
これは空間的方位としても理解されるが、時間的表象としては青春、朱夏、白秋、玄冬の四季を表す。
麻雀には白、青、朱があるが、「玄」がないのである。
世界を表象する根本記号のうちのひとつが抜いてあるのである。
同じことは萬子にも言える。
筒子は「竹を輪切りにして見たかたち」である。
索子は「竹を横から見たかたち」である。
この二つは宇宙を空間的に表象するときの座標軸である。
ということは、萬子もまた本来は「何か」と対になっており、その対は論理的に考えると宇宙を時間的に表象するときの座標軸として機能していたはずである。
それが抜かれている。
高校生だった安田師は麻雀を打ちながら、その「失われた萬子の相方」とは何か・・・という底の深い問いに取り憑かれたのである(珍しい高校生である)。
その問いの答えを求めて安田師はなんと大学の専攻に甲骨文・金文解釈を選ばれたのである(珍しい大学生である)。
そこで師は「萬」の古字がある種の爬虫類をかたどったものであり、「亀」と酷似しているという事実を発見した。
「亀」といえば「鶴」。
鶴は千年、亀は万年。
つまり、論理的に言えば、麻雀にはもうひとつ鶴を象った「千子(せんず)」という牌種が存在しなければならないことになる。
結論を述べよう。
東南西北に白發中にもうひとつ「黒」を入れた四元牌、それに空間を表象する筒子と索子に、時間を表象する萬子と千子を揃えたものが古代中国に存在したはずの「原・麻雀」なのである。
このゲームのうちにはおそらく悠久の過去から永劫の未来までの宇宙の運行のすべてが書き込まれており、かつこのゲームを行う人はそれによって宇宙の運行を司っていたのであろう。
麻雀はしだいに洗練されて今日の形態になったのではなく、そもそものはじめから今のようなものとして突然に出現した。
ということは、それまで古代の知者たちがひそかに「原・麻雀」を「宇宙ゲーム」として行っていたものから二種の牌をあえて「控除」することによって「無害化」したものが人間に与えられたのではないかという推理が成り立つのである。
というのが安田師の麻雀宇宙論である。
すごい。
釈老師がかつて看破したごとくまさしく「人生は麻雀の縮図」だったのである。
こうなると、ぜひ三元牌に「黒」を、萬子の対に「千子」を入れた原・麻雀を作り、これで麻雀をした場合に世界にどのような変異が起こるかを試してみたくなるではありませんか。
おそらく「何か」が起こるのであろう。
しかし、せっかく古代の知者があえて禁忌とした「原・麻雀」である。
小人の賢しらをもって封印を解くべきではあるまい。
それでも、全てが終わった後、残ったメンバーで心斎橋の安い屋台村のようなところに飲みにいった。ここ一年で大きな仕事もなかった僕たちにとっては、破産までなんとかこぎ着けたということに達成感があった。
その夜はたくさん飲んで、たくさん昔話して、たくさん笑った。不思議と悲壮感もなかったし感傷にひたることもなくて、みんな笑顔だった。
会社がつぶれたからといって、僕らの人生が終わるわけではないし、また明日がくるだけ。
今から思えば、僕たちの中で、「会社」というもの自体がもうずいぶん前につぶれてなくなっていた。単にそこに仕事が残っていて、それを終わらせるためにみんな最後までいて、たいしたお金ももらえないままはたらいていたんだろうなって。
